ある日、森の中、出会ったのだ

朝からパソコンと向き合っていた。目が疲れ、身体が重い。

夕方になって少し身体をスッキリさせたいと散歩に出る。
我が家は坂の途中にあるので、散歩やランニングは下りてから登るか、登ってから下りるか、その時の調子と相談する。だいたいが先に下りるのだが、今日は先に登ろうと藻岩山に向かって歩くことにした。しばらく歩くと藻岩山山頂に向かう料金所が見える。空が晴れた夕方の時間帯、車が何台かテールランプを光らせて料金所に入っていく。今日の夜景はきっと綺麗だろうなあ。街灯も少ないので、辺りが急に暗くなったことに気が付く。もう少し歩こうと、冬にはスキー場となる緩やかな斜面の方に向かう。随分と日が短くなったと思う。さらに暗くなって静かだ。遠くでガサガサと笹やぶを踏みつける音がした。犬の散歩?とその時は思った。「誰かいますか?」と声を掛けようと思ったけれど、バキバキ、バキバキ!と強い音がしたので、「?!」声を飲み込む。(熊かも知れない。)すぐ引き返す。坂をバタバタと焦って降りる。ここで熊と出会ったら、逃げるところがない。人がいる所といったら、先ほどの料金所が一番近いだろうか、などと考えながら小走りで一般道に出る。後ろを振り返る。もう大丈夫、と思いながらも、道々「逃げるならこの家がいいかも、でも鍵がかかっていたらどうする?アウトだ!」などと妄想する。笑わないで欲しい。この辺でも10年ほど前には道路の下、もっと住宅街の方で熊が出没して、テレビ局が来ていたこともあった。今年は、同じ南区の藤野や常盤で、何度もヒグマが出て大騒ぎしている。

僕は熊に関しては、極端に憶病で小心者だ。登山や人里離れた場所で熊を見かけ写真を撮る人がいるが、とても信じられない。

子供の頃、僕の生まれ育った場所はそれはそれは田舎で、周りによく熊が出没した。毎年、熊に出合って亡くなる人がいたような地だ。近所の人が集まっては「誰々さんが被害に遭った」などという話を聞いて震えあがっていた。そんなことがあった夜は、風の音とともに遠くで熊なのか人の叫びなのか、何か恐ろしい声が聞こえた(ような)気がして眠れなかった。

熊が頻繁に出ると、地元のハンター達によって熊狩りが始まる。仕留められた熊は軒先に吊るされる。噂を聞きつけて僕たち子供も見に行く。吊るされた熊は恐ろしくデカかった。そして、夜になると決まって我が家の食卓に肉が出る。この肉、ナニ?と聞いても適当な答えしか返ってこない。ショウガと醤油で濃く味付けられた肉は、硬くてなかなか噛み切れなかったが、子供にとっては貴重なたんぱく源でご馳走だった。(もちろん今はこんなことダメです)

こんな田舎の小・中学校を卒業して何年後かのこと。学校のグランドにヒグマの子供が迷い込み捕らえたことがあった。そのヒグマは動物園に売られて、学校ではピアノを買ったということだった。東京生活を始めたころ、出会った友人や同僚に自己紹介の挨拶代わりにこうした熊話をすると、とてもウケが良かった。調子に乗って少しモリ気味にあちこちに言いふらす。あるとき「お前のオヤジはマタギなんだって?」。それはいくらなんでも話が膨らみすぎだろう。今ほど情報のない時代、日本は広かった。驚くような真実がたくさんあって、全く違った環境で暮らしていた人たちの話は刺激的で面白かった。

翌日(今日になって)、やっぱり身体が鈍っていたので、またブラっと散歩に出る。昨日とは違う道を通って帰ろうと思ったけれど、どうも気になって昨日の道に寄ってみる。今日はまだ充分に明るい時間だ。スキー場に入る手前まで来て、ふと見ると何かが見える。えっ、すぐスマホを取り出す。熊ではない、鹿だった。

じーっと僕を見ている。少し近づいてみる。まだこちらを見ている。まだいける。そう思った途端、お尻を向けて走り去った。画像で見ると鹿の子模様がある。まだ子供かも知れない。しばらくして、山の奥で「ケーン、ケーン」と犬に似た高い鳴き声を何度も聞いた。親とはぐれたのだろうか、その声はなんとも悲しいい響きをもって藻岩山にこだました。