菜園の真の働き者

学生時代の先輩から、野菜の花の写真が届いた。野菜の花と言われても、ボヤっとしたイメージだけで、はて?どんな形をしたものか、あまりよく分からない。観賞用の花と違って葉っぱが大きくて花弁は小さいけれど、よく見ると意外と綺麗で将来の野菜の一端も窺えるようなところもあり、微笑ましくもある。写真を送ってくれた先輩は、家庭の事情での畑仕事ということだが、きっと菜園趣味にはまっていくのではないだろうか、そんな気がする。

この歳(還暦越え)になり、退職してブラブラしていると、野菜でも作ってみたらどう?とアドバイスされる。確かに、僕の周りにも畑をやっている人が多い。先日も、幼馴染の友人からたくさんの枝豆やトマト、ナスを頂いた。仕事の先輩にも、毎年、アレができたコレができたとと熱心に結果報告をしてくれる人がいた。
どうせボーっとしているならという周囲のプレッシャーもあって、どれどれ僕もやってみようかと菜園づくりに挑戦した。3年前のことだ。運よく、近所の方が畑を貸してくれた。我が家のすぐ近くにあって小さな畑だったので、この程度なら何とかなるだろうと思った。

実は、我が家の狭い庭で一度畑をやってみたことはあった。かなり前のことである。無農薬とか有機栽培という当時の流行もあって、極力化学肥料や農薬を使わないで始めた菜園。結果は、ほとんどが虫のエサとなり、悔しい思いをした経験がある。やはりある程度の知識は必要で、簡単にはできない。あっさり「畑」の文字を記憶の彼方へと追いやった。田舎生まれではあるが、どうも畑は苦手だ。

子供の頃、田舎ではどこの家でも小さな畑を持っていた。今思うと結構な広さの畑を耕していたような気がしないでもない。我が家の裏にも畑があって、その他にもちょっと離れた山の麓に畑を借りていた。嫌々ながらでも、たまには畑を手伝うこともあった。
家で採れた野菜は、美味かった。特にキャベツの味は忘れられない。とんかつソースをかけて食べるのは今でも大好物だ。ニラやホウレン草も美味しかった。他にもキュウリやカボチャ、人参など、結構な種類を作っていた。
畑作業に関しては、あまり記憶にないのだから、多分あまり手伝っていなかったのだろう。でも肥料を与えた記憶は鮮明に残っている。肥料というと聞こえがいいが人糞である。自分たちの排泄物を使う究極のリサイクル活動。当然、その頃の田舎は汲み取りトイレだから、自分たちで汲み取って運ぶ作業があるわけで、今となっては見ることができなくなった田舎の風物詩?なのだ。この作業は、本当に嫌だった。
余談だが、汲み取りが終わった後の便器の下には空間が広がり、さあ、いつでもいらっしゃい、まだまだ余裕がありますよ!といった感じになって、実に頼もしいトイレと生まれ変わる(笑)。これは、冬場になって便器の下がコチコチになってどんどん浅くなり、このまま行くとヤバイ! こんな経験をしたことのある人にしか分からない「トイレあるある」ではないだろうか。
ついでに言うと、雪解け時期に畑で遊んでいて、肥溜めに落ちるというのは多くの子供たちが経験することだ。どうしてあんな危ないところで遊んでいたのだろう。今思うと不思議なんだけれど。

畑作業は好きではなかったけれど、収穫は別だ。特に芋掘りは楽しいと思う。ちょっと掘るだけでどんどん芋が出てくる。ここ掘れワンワン気分というのか、芋づる式というべきか、とにかく次から次と見つかって、すぐにバケツ一杯になる。ひょっとして芋掘り名人?という気分にさせてくれるし、「働いたなあ」という実感も味わえる。収穫なら芋掘りをお勧めする。もちろんその後のじゃがバターの美味いことは言うまでもない。

僕の育った小学校では、確か夏を過ぎたあたりになると芋掘り休み、というのがあった。この時ばかりは農家の子供は大手を振って休めるわけで、彼らが羨ましかった。「俺は稼ぐために休むんだ」というちょっと偉そうな態度の子供もいて、僕は取り残されたような敗北感を味わった記憶がある。そんな幼い頃の記憶があって、芋掘りには格別な思い入れがあるのかも知れないが。

さて、僕のその畑はというと、葉物は虫に喰われるのでやめた方がいいという助言があって、比較的収穫の確かなピーマン、シシトウ、トマト、ナス、キュウリなど。そしてぜひ育ててみたかった、とうきびを植えた。土掘、畝づくり、水遣りなど、ネットで調べながら最初は一所懸命やったけれど、草取り辺りからちょっとサボり始め、教科書通りに芽が育たないと天気のせいにしてテンションが下がり、ピーマン、シシトウが育ち始めて少し元気が出て、さてとうきびの食べ頃となったところで、カラスに全面攻撃されてまたダウン。不味そうなカボチャができる頃には、僕の心に秋風が吹いていた。結局、一喜一憂する農業生活は僕には向かないということに落ち着いて、二度目の破局となった。

いま、我が家の軒下には、カボチャの花が咲いている。ここは生ごみ処理用のコンポストを置いていた場所で、何もしないで勝手に生えてきたものだ。先輩からの写真が届いたこともあり、触発されて雨あがりの朝に写真を撮ってみる。なんと瑞々しい色だ。蕾を上から見ると、星形になっている。蜂がブーンと飛んできて、たまたま撮っていた花に入ってきた。ちょっとピンボケな一枚で分かりにくいけれど、蜂は健気に働いているではないか。僕が何も手を貸さなくても、この蜂の働きで暫くすると、この花から立派なカボチャができるかもしれない。「こうやるのさ」と花弁に顔を突っ込み手を器用に?動かす働き者。蜂がちょっとだけ愛おしくなった。もう少しカボチャの行く末を見守ってみよう。