サクラ咲く
24日、首都において桜が満開となった。17日の開花宣言からあっという間の花見シーズン到来。3月中に終わってしまうのは、ちょっともったいない気がする。こちら(札幌)も暖かい日が続いているが、まだシーズンも残り少なくなったスキーを楽しんでいる。
札幌でも桜は充分に楽しめるが、東京の桜には格別の想いがある。何といっても東京で初めて桜を見たときのインパクトが大きかったからだ。僕の知っている桜と花見といえば故郷のオホーツクでの体験。ほとんど山桜しかなく、大方6月の初めころが花見シーズンだったと記憶している。花見会場となるのは村外れの小高い場所にある神社で、地味に何本かの山桜が植えられていた。ご承知のように山桜は花が咲くと同時に葉も伸びてきて(「サクラ日和」参照:昨年5月)子ども心にそれほど綺麗に見えなかった。それでも重箱に海苔巻きや卵焼きを入れ、ゴザをもって神社に集った。正直寒い日も多かったので、あまり歓迎するようなイベントではなかった。花見と言えばそんなものだと思っていたから、初めて東京で見た桜、いわゆるソメイヨシノには感動した。本当に美しかった。
東京での一人暮らし。入学を祝福するかのような満開の桜並木。これが花見だ。この時期の故郷では、きっとまだ融けかけの雪道を長靴でズボズボぬかりながら歩いているに違いない。ふと思う「桜って本当に4月に咲くんだ!」 これまでの日常と異なる目の前の鮮やかな光景に、気持ちが高ぶり戸惑う18歳の田舎者がそこにいた。親がこの日のために用意してくれたジャケットの襟を正し、桜色に頬を染め(ていたであろう)、鼻息荒く大学の門をくぐったこあの日のことは、今でも鮮明に覚えている。
春になったら咲くのが桜。だから小学校の理科授業では、先ずアブラナやサクラの観察だった。観察できない北国でどうしてこの授業が最初にこなければならなかったのだろう。これで理科が嫌いになった。教科書通りに梅が咲き、桜が咲き、梅雨が来る東京に住んで、なんて素敵なんだろうとも思った。東京生活で沈丁花や金木犀の香りに季節を感じ、紫陽花や夾竹桃、百日紅などもインプットされた。カッコつけて漢字で書くようにもなった。ポインセチア、シクラメンなど、まったく興味なかったのに視野に映るようにもなった。花に無知だった僕の生活に彩りができた。
別れや出会いの季節にサクラが咲くことは、だから特別な意味があって、これが5月だとこれほど日本人に愛されただろうかとも思う。毎年、サクラ咲く季節になると心がザワザワする。でも残念ながら、北海道の花見ではこうした気分を感じたことがない。いくらジンギスカンで美味しく味付けても、何か足りないと感じるのだ。