聖火と古の松明~奈良二月堂のお水取り

平昌オリンピックが閉幕した。当初はそれほど盛り上がっている感じがなかったが、メダルをひとつふたつ取り始めると見る方も報道も力が入り、連日テレビにくぎ付けとなっていた。終わってみれば前回とは大違いのメダル獲得数になり、結果オーライのオリンピックとなったような気がする。

ただただ応援するだけで特別にオリンピックに関わってきたわけではないが、4年に一度の祭典を終え、日常に戻ると何となく寂しさを感じる。

ふと気づくと3月である。オリンピックと言えば聖火だが、我が国では松明をかざして走り回る伝統行事がある。「お水取り」あるいは「お松明」とも呼ばれる東大寺二月堂の「修二会」(しゅにえ)で、天平勝宝4年(752年)、東大寺開山良弁僧正の高弟、実忠(じっちゅう)和尚が創始者とされ、以来、毎年続けられているという。

毎年、3月1日から14日までの2週間、二月堂にて修二会本行が行われるが、この様子がテレビに映し出され、「古都奈良にも春が訪れ・・・」などと必ずコメントが流れる。「この古のイベントを一度は拝みたいものだ」と思っていたのだが、数年前、叶うことができた。

いい場所を求め、早くから人が押し寄せる。

ご承知かと思うが、大火事後や戦時中であってもこの行事だけは欠かさず行なわれていたということで、2018年の今年は、何と1267回を数えることになる。さすがに奈良は違う。歴史の重さを感じずにはいられない。この修二会はさまざまな法業があるが、ハイライトは夜にやってくる。練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる僧侶が長ーい「お松明」を担いで登廊、二月堂の舞台で見得(何かを唱える?)を切って走りながら松明をぐるぐる回し火の粉を振りまく。歌舞伎を思わせる見応えある行事ということで、当然、観光客が大勢訪れ二月堂の境内は人で埋まる。メインとなる舞台は二月堂の回廊で、観光客の多くは「お松明」の火の粉が降りかかってくるこの下に殺到する。火の粉を浴びると縁起がよい(病気にならない、あるいは幸せになる)とされ、この場所を確保するためには昼間から並んでいなければならない。この日、僕は昼間に下見をし(すでに欄干下は席を確保できない状態のようだった)、ぶらぶらしながら時間を潰す。

威厳のある東大寺大仏殿

二月堂のすぐ下に、奉納するための松明が並んでいたが、そこに「さだまさし」と書かれたものがあった。そういえば、さだまさしの曲に「修二会」そして「まほろば」というのがあった。彼のコンサートがこの地であって、メロディーや歌詞を思い出そうとするが、残念ながらすぐには出てこない。徐々に暮れていく二月堂に上がり回廊に立つと奈良の街が見渡せる。歴史を感させる素晴らしい眺めだった。ずっと見ていたいが、近くの店でお腹を満たし夜に備えることにする。

昼間とは違い、陽が沈むとそれなりに冷えてくる。立ちながら黙って待つのだが、人が多いのであまり寒さは感じなかった。「お松明」は30分ほどだった。この日は平日の中日で、これでも人が少ないと言われた。どうやら「お松明」が大きくて本数も多いメインの12日は、とんでもない人の数になるらしい。「修二会」はこの「お松明」だけではなく、「お水取り」と言われる閼伽井屋という井戸から二月堂の間を三往復し、お香水が内陣に納める行事などがある。それぞれに起縁があって複雑で正直よく分からないが、鎮護国家、天下泰安、風雨順時、五穀豊穣、万民快楽など、人々の幸福を願う行事であることは間違いないだろう。

大仏殿の屋根と、その先に奈良の市街地、そして遠くに生駒山と思われる稜線が見える。