最北端のしょっぱい記憶

高校時代の3年間は、稚内で暮らしていた。その仲間からクラス会を行なうとの案内が来た。前回(2年前)開催は、地元だったので、今回は札幌で催すという。60過ぎてもなお、二年おきに行なっているから、随分と仲のいい学年だといえる。
道路が整備され、道内移動も楽になったとはいえ、札幌から稚内は遠い。急いでも5時間はかかるだろう。昔は鉄道が主流で宗谷線と天北線があった。今は宗谷線だけで、JR北海道の最近の活躍ぶり?を見ていると、そう遠くない日にこちらも廃止となるだろう。遠いてっぺんの街、稚内。札幌に長く暮らしながらも足が遠のいていたが、ここ数年、仕事の関係で何度か訪れる機会があった。列車・車・飛行機と、それぞれ違う手段での移動だった。久し振りの稚内は、随分と変わっていた。特に駅前は、何年か前の大火事の影響もあってか、佇まいが違って見えた。駅舎も新しくなった。

駅の周辺をブラブラ歩く。なんか隙間風の吹いているような街並みが寂しい。昔のような活気は感じられない。そういえば、少し前に行った留萌の駅前もこれ以上に寂しかった。網走、根室も想像以上に寂れていた。多分、道内では多くの町がこんな感じなんだと思うと、昭和のオヤジにはやり切れない思いがこみ上げてくる。
幼い頃、父と行ったラーメン屋に行ってみた。何故かこの記憶だけが鮮明で、一緒に食べた餃子が忘れられない。店はあった。が、火事の影響で場所が少し変わり、店内の印象も違っていた。そのせいか、味も僕の求めていたものではなかった。
漁業で栄えたこの地には米軍基地があり、人口に比べて飲み屋が多く賑やかだった。田舎育ちの僕にとっては、そのころの稚内でも充分に都会だった。高校生とっては誘惑の多い通りも多かったので、なるべく避けて通っていたような気がする。それでも一度、駅前の飲み屋街でアルバイトをした経験がある。蕎麦屋の暮れに向けての出前配達だ。クリスマスムードで酔っ払いの多い街中を、蕎麦を担いで歩き回る。風が吹き手が凍え辛いバイトだった。街頭放送だろうか音楽が聞こえてくる。「ユーキーがフル・・・アナタはコナイ・・・」。ご存じだろうか、アダモの「雪が降る」。当時、大ヒットの曲だ。なぜ、僕はこのアルバイトを選んだのか、覚えていない。今でもたまに、ジングルベルが街に響くころになると、この曲とともにしょっぱい記憶が甦る。