ススキノ・ノスタルジックアワー
久し振りにすすき野にやって来た。「すすきの」「ススキノ」「薄野」・・・どうだったろうか? ま、変換機能に任せよう。
古くからの友が、内地からわざわざやって来て、一緒に飲もうということになってのススキノだ。北海道へ来る目的は、その中心が「お馬」にある。朝に羽田を出て、昼には競馬場でビール。成績のほどは分からないが、今日は天気も良好だったようで、締めは北海道の味覚を味わうという鉄板コースだ。
お馴染みの巨大なネオン看板を眺めると、いつも感じることだが懐かしさを覚える。若い頃はよく通ったなあと思う。冬のススキノも思い出深いが、夏場の暮れ行く手前のススキノのネオンは、さらにいい。
「夏はススキノ。ようよう青赤白、ヒカリさして、看板の端、いと近うなりたるに、多くの人急ぎ交わし、飲みこむように見ゆるは、いとおかし」
駅前通りの第1グリーンビルの地下で、先ずは再会の祝杯。この辺のビルは、もうかなり年月が経ち、あちこち補修工事をしている。一帯は札幌オリンピックの前後に建築されたものが多いので、築45年になろうかと想像する。そのうち、この景色が一気に変わるのかも知れない。
バブルのススキノは、それは活気があった。駅前通りの歩道は人でごった返し。肩をぶっつけながら歩いていた。タクシーも捕まらず乗れなかった。もう一軒飲んで待とうと言っている間に、白々と朝陽が差してくることもよくあった。夏至の頃の札幌は、午前3時過ぎには明るくなる。この頃は、まだ体力もあった。一度家に帰って、風呂に入り、仮眠をとって仕事に出ることができた。景気も良かった。
ススキノにも僕にも、もうそんな日は訪れることはない。時代は変わった。札幌の夜の代名詞とは言え、少々置いてきぼりになった感もあるススキノだ。だからこのネオンを見るたびに感傷的になるのだろうか。
グリーンビルを出て、国道36号線を渡って西の方に歩き、F45ビルの隣の第4藤井ビルに入る。友人の知っている店はここだという。地元の人よりも旅人の方が知っている「あるある」だ。でも、このビルは以前、エレガンス藤井ビルと言っていたこと、そして僕が通ったスナックのあったビルであるということは、友人は知らない。どうでもいいことだけど、僕には大切なこと。
昔、F45ビルで客を接待し、タクシーで送り返した後で、また飲み直すために引き返したこともあった。そんなことを思い出しながら見慣れたエレベーターに乗ってて、案内プレートを見る。もちろん、僕の知っている店はもうない。随分前にそのスナックは店をたたんでいる。そういえば、あの店は何階だったろうか? 開くドアを待ちながら、昔の記憶を探る僕がいる。変わっているようで変わっていないススキノがまだあるけれど、どう変わっていくのだろう?