首都ホニアラ見聞

日本からソロモン諸島への便利な行き方は、主に次の方法。パプアニューギニア(ポートモレスビー)、オーストラリアのブリスベン、フィジー(ナンディ)からの3通り。他にもあるが、乗り継ぎ時間がかかってしまう。直行便が無く、定期便の曜日も限られている。ちょっと行って帰って来るということはできない。だから遠い国。旅行の計画はとても悩む。ソロモンにはこれといった資源もなく、観光の目玉もない。年間を通じてビジネス客も観光客も少ないのが現状だ。そして調べていて分かったのが、この国の情報は圧倒的に少ないということ。

今回の旅は、現地の知り合いを訪ねるのが主目的だったので、結局あまり調べないで出発した。見るもの聞くこと知らないことばかり。いろいろ刺激を受けることも多かった。恐縮だが、見て感じたこの国について少し紹介したい。あくまでも個人的に得た知識と感想である。

ホニアラ空港。戦時中、日本軍がここに滑走路を造った。迎えてくれたのは、強烈な蒸し暑さだった。

ソロモン諸島の表玄関はホニアラ国際空港。ここから首都、ホニアラに向かう。人口が6.5万人程度の都市だ。何やら日本語にするとふざけた響きが心地よく、一度覚えると誰かに教えたくなる。市の中心地は車も人も多い。かといって、活気があるかというとそうでもない。ここには南半球の小島からなるリゾート地とは異なる印象。まだまだ途上国、掴みどころのない混沌とした雰囲気が漂う。

ホニアラ空港から市内まで車で20分程度、一本道は舗装がされているような、いないような・・・。よく見るとただ土が固められているようだった。なので、あちこちに穴や割れ目が仕掛けられている危険な道路だ。

市内が近くなると車がどんどん混んで渋滞となった。見ると9割が日本車、さらにその中でもトヨタ車が6割を占めている(あくまでも個人的な感想)。さすが世界のトヨタと感心するが、日本人の仲介業者がいて、独占的に中古車を販売しているのだと現地の人が話していた。日本で役目を終えた車は、まだまだ元気に現役としてこちらで第二の人生を送っている。

空港から市内へ向かう。こんな風景が目につく。

市の中心に近くなるにつれて、舗装もしっかりできていて、ちゃんと歩道もある。この道路は日本の協力で作られたものであると、途中に建てられた記念プレートを見て理解する。そーなんだ。こんなこともあってか、この地では、日本人は意外と好意的に見られているという。多くのボランティアが派遣されて頑張っているようだし、日本の企業はあまり「エグイ」ことやっていないようで、友好的にビジネスして(地元にお金を落として)いるらしい。日本人として安心する。

これが友好のシンボル。
ご覧のような渋滞になる。

ホニアラのメインストリートは片側二車線で中央分離帯もある。さらに車が駐車できるだけの広さも確保された立派なものだ。信号は無い。以前は1か所あったのだが、誰も守らないので邪魔ということで撤去されたという。道の両側に2、3階の大きな建物があって、何軒かの店が区切られて営業している長屋スタイルだ。看板やポップはあるが、ごちゃごちゃ感がすごい。薄汚れたコンクリート壁、入り口は狭く鉄のドア。ドアは開いてはいるが中は暗い。外からはどんな店内か、何を売っているかよく分からない。おまけに入り口に人がたむろしていているし、外見的に日本人は目立つので気の弱い僕には入りにくい雰囲気。この近辺以外では店らしきものは見かけなかったので、市民はここに来て日常品の買い物をするのだろう。コンビニはもちろんナイ(と思う)。それらしき名前の店はあったが、全然、違っていた。とてもショッピングという気分にはなれないなあと思っていたら、少しメインを外れた裏側に、市内で最も洗練されたスーパーがあると案内してもらった。辺りに土産物屋も何店かあるが、分かりにくい。ここは地元のガイドがないと無理だと思う。

市民が持ち寄る市場が開かれているので行ってみた。屋根付きの大きな市場で中はすごい熱気(実際に蒸し暑いという意味)。生鮮食料品が並んでいる。特に野菜はきれいに並べて売られていて意外とセンスがあるなあ。衣類や装飾品もたくさん出品されていた。魚は色が悪く、鮮度は疑わしいものが置かれていた。もし買うのならきちっと目利できる自信がある人に限るだろう。

それにしても、市街地にたむろしている多くの若者たちは何をしているのだろうか。ビジネスマンらしき人は見かけない。皆、シャツに半ズボン、草履履きスタイルだ。この国では、一所懸命働かなくても食べていけるという。主な産業は農業、林業、漁業。いわゆる第一次産業からなる自給自足の国家。農家の女性は畑で農作物を育て、男はあまり働かないらしい。資本主義経済、グローバル社会の物差しが、ここでは通用しない部族や親類が助け合う暮らしが伝統的に今もなお続いている。それもあってか凶悪犯罪は少なく、比較的安全なようだ。だからといって治安がいいわけではない。引ったくりや酔っ払いには注意しなさいと教えられた。

僕たちが訪れる数日前に議会の総選挙があった。その関係で外務省のホームページでは旅行者に対して暴動の注意喚起があった。以前の選挙で、不満の民衆や部族が決起して騒動を起こした経緯があるという。その時は、オーストラリアから軍隊が派遣されて鎮圧された。まだ、議会制民主主義が根付いていない。軍隊を待たなく警察力も貧弱なので、一度騒動が起こると自国では処理できない。滞在期間中、オーストラリアの軍人を多く見かけたのは、多分、その所為だろう。こうした争いがなければ、ある意味平和な国なのだ。

出会った男性は強面で厳つい感じは拭えないが、シャイで親切。ニッコリ笑うとチャーミングである。公用語は英語だが、ピジン語という英語を略したような共通語が日常では使われている。貨幣はソロモン諸島ドルで1ドル15円程度(2019年4月現在)。経済的には貧しいが、飢えで苦しんでいるという状況には出会わなかった。

この街を歩いて嫌だったのは、街中がとにかく汚いこと。ペットボトルが平気で捨てられている。それに、いたるところに赤いシミ。このシミはビートルナッツの所為だ。知らなかったが、ビートルナッツは東南アジアや太平洋の国々でよく知られた趣向品であるという。詳しくはネットで調べていただくとして、現地では山の中に入ると穫れるので、市内の路上、いたるところで売られていた。日本の旅行者の好奇心をくすぐると思う。法律的に禁じられていないので、多分試した方も多くいるのではないか。安易に考えるとせっかくの旅行を台無しにすることもあるので、充分注意してもらいたい。個人的には不必要な体験だと思う。この地では、もっと別の楽しみを発見してもらいたい。

~その弐に続く~