ソロモン諸島を知って

縁あってソロモン諸島に行くことになった。ソロモン諸島はれっきとした国名だが、ソロモンと聞くと、たいがいは「ソロモン王」や「ソロモンの秘宝」あるいは「ソロモンの偽証」などを連想するのではないだろうか。いわゆる「古代エルサレムやヘブライ」のソロモンである。ソロモン諸島は、これらの場所とは全然違う方向にある国。しかし全く関係ないかというとそうでもない。というのも、16世紀にスペイン人の探検家がこの地を訪れ砂金を発見した際、「これが探し求めていたソロモンの秘宝だ」となった。「ソロモン諸島」(Solomon Islands)は、この時の発見に由来する。

ソロモン諸島といっても、僕には全くピンとこない国だった。でも実は日本とはある意味で関係性の深い国といえる。ガダルカナル島というと、歴史に強い方、年配の方は頷くだろう。「ミッドウエー海戦」と並び、太平洋戦争で日本軍が勝負を仕掛け、そして大敗を喫した場所だ。この地には、未だに戦争の痕跡がしっかりと残っている。日本人としてはあまり思い出したくない史跡である。複雑な気持ちを抱きながらもその場所に行ってみた。目にした光景は悲しく、胸が痛むものだった。

「1942」-現地をガイドしてくれた人から何度も聞く言葉だ。この年にガダルカナル島に日本軍が進攻している。しかしほどなくして米国・オーストラリア軍の逆襲に遭い日本の補給路が絶たれる。結果、撤退もままならずに多くの日本兵が命を失った。今回、ガダルカナル島の首都ホニアラから小さなボートに乗り、対岸にあるフロリダ諸島を見て回った。揺られること1時間半。複雑な地形の入り江には日本軍に攻撃されたオーストラリアの大きな船が錆びて放置されている。また日本の戦艦が朽ち果てて沈んでいるのも見ることができる。

フロリダ諸島に向かうボート。途中、スコールに遭う。もう一雨来そうな空模様だった。

当時、日本軍が上陸した島にボートを着ける。浜には小さな滑走路跡もあった。ヤシの林を分け入り15分ほど登ると山頂に到着。そこには高射台が残っていた。以前は高射砲もあったが、現地人が取り除いたようだ。でも重くて途中で放置されていたのはご愛敬か。坂を登る途中にも、あちこちに日本軍が築いたと思われる塹壕もある。ガイドは密林の崖にある洞穴を案内してくれた。そこはU字に掘られて長い洞穴になっている。恐らく空爆を逃れるために築いたものだろう。先へ進むと他の出口に出られるようだ。もしもの場合は反対へ逃げるためだが、リアルな現場に僕は恐ろしくてとても中に入る気になれなかった。

戦況が厳しくなり仲間はどんどんいなくなる。飢餓状態で日中は砲弾の雨、夜襲もあるだろう。こんなところに数時間潜んでいるだけで、正常な感覚は失われてしまうのではないかと思えた。この日は蒸し暑く、恐ろしいほどの蚊が徘徊していた。虫が大の苦手。とても無理、生きては行けない。申し訳ないが、早くシャワーを浴びてスッキリしたい。そしてビールで喉を潤したい。
まもなく、この願いは聞き入られることになるわけで、今の平和に深く深く感謝する。

なぜ、日本から遥か彼方のこの小さな島が必要だったのか、なぜ敵の攻撃とマラリアの恐怖に怯えながら洞穴でじっと耐え忍ばなければならなかったのか。こんな状況をつくり出す戦争は恐ろしい。理不尽で許せない、二度と御免だと強く強く思うのだ・・・。